Carl Hansen & Søn

arne-jacobsen

Arne Jacobsen

デンマークを代表する建築家 アルネ・ヤコブセン (1902-1971)。その名はモダニズムの代名詞とも言えるほど各方面で知られています。

Designer bio

その独特のビジョンは今日、数多くのデザイナーに影響を与えるほか、家具をはじめその作品の

多くが名作としてデンマークをはじめ、世界各国で高い評価を受けています。

建築家として数々の名作を残したヤコブセン。デンマーク国立銀行、コペンハーゲン北郊外に位置する集合住宅と

ベルビューシアター、そしてオーフス市市庁舎などは今日、モダニズム建築の金字塔として知られています。ヤコブセンの機能的な建築は大規模なプロジェクトに留まらず、一般住宅、別荘と多岐にわたります。また、カトラリー、ドアノブに

至るまで、建物に関わるあらゆるものをデザインし、自身のビジョンを総合的に表現したプロジェクトにも取り組んで

います。その好例が、SAS ロイヤルホテル(現ラディソンブルー・ロイヤルホテル)です。設計のみならずインテリア・デザイン、家具と総合的にデザインを担当しています。

建築を主に活躍したヤコブセンですが、照明、テキスタイル、家具など様々な工業デザインにもその才能を発揮して

います。製品の種類に関わらず、あらゆる仕事に完璧であることを求めてきました。特徴は、オーガニックとも言える

シンプルなフォルムと機能美の調和。そのバランスを求め、詳細に至るまで妥協することなく自らのビジョンを追求して

います。インスピレーションの起源は自然界の美とその多様性。自然界に影響を受けたオーガニックなフォルムをヤコブ

センが遺した数々の家具に見ることができます。また、ヤコブセンがこよなく愛した花々や庭は、数多くの水彩画、

壁紙、ファブリックデザインに反映されています。

まずレンガ職人としての教育を受けたヤコブセン。コペンハーゲンのテクニカルカレッジを1924年に卒業すると、デンマーク王立芸術アカデミーに入学。理論だった建築へのアプローチで知られる、コーア・クリント、カイ・フィスカ―に師事し、

大きな影響を受けいています。そして、建築科を1927年に卒業。この頃にはすでに業界では名を馳せる存在となっていました。当時のヤコブセンのビジョンとアイデアは、自身の幼少時に全盛だった、ロマン・新古典主義建築の終焉に

大きな役割を果たしています。

ヤコブセンが大きく飛躍するきっかけとなったのが、同級生だったフレミング・ラッセン(Flemming Lassen)と協働で発表した「未来の家」。1929年、コペンハーゲンで開催されたコンペで展示されました。これを機に数々の住宅を設計。機能を極めたモダン集合住宅ベラヴィスタ(1932-1934)もその一つです。フランス/スイスの建築家ル コルビュジエの影響が顕著に表れています。その後ヤコブセンの仕事は、より才能を発揮できる大掛かりな建築プロジェクトへと

移行。さらには、家具、インテリアデザインにまで広がっていきます。

ユダヤ人であったことからヤコブセンは、第二次世界大戦中、二人目の妻でテキスタイルプリンターのヨナ・ムラ―(Jonna Møller)と共にスウェーデンへの亡命を余儀なくされました。亡命先でヤコブセンは、自然界にインスパイアされた家具用のファブリックを発表しています。帰国するとヤコブセンはデンマークはじめ、海外での建築プロジェクトに

着手。自身の設計事務所をベースに数々の名作建築を残していきます。伝説的な椅子をデザインしたのもこの頃です。また、数々の照明、「シリンダーライン」をはじめとするカトラリーやテーブルウエア、Volaなどのバスルーム、キッチン用の

什器も発表しています。

精力的に建築プロジェクトをこなしたヤコブセンですが、教育にも力を注ぎました。1956年から1965年の約10年間、デンマーク王立芸術アカデミーで教授を務めています。また、数々の賞とも無縁ではありません。オックスフォード大学

およびグラスゴーのStrathclyde大学から名誉博士号を授与されたほか、数多くの欧州アカデミー協議会のメンバーに任命されています。また国際的に活躍する優れた建築家に贈られる、RIBA Bronze Medal(1963年)、フランス建築アカデミーの Medaille d'Or (1971年)を受賞しています。

ユーザーログイン

ユーザネーム&パスワードを入力してください

入力されたユーザーネームまたはパスワードが正しくありません